退屈を取り戻す
昔、地中海に浮かぶマルタ島を旅したときに、ふらっと入ったレストランでローズマリーのリゾットを食べた。 どんな店だったのか、細かなことはあまり覚えていないのですが、なぜかそのリゾットは不思議なくらいずっと覚えていて。 全然豪華な料理ではないし、具材も何もなければ凝ったソースがかかっているわけでもない。 ブロードで炊いた米とパルミジャーノ・レッジャーノ、ローズマリー。本当にシンプルなお料理。 でも、おいしかった。おいしかったというより、心に残った。 先日、庭で育ててるローズマリーを眺めていたら、突然そのリゾットのことを思い出したので、作ってみた。 (我が家のローズマリー。今では世界各地で栽培されていますが、元々はマルタなどの地中海沿岸に自生していたハーブです) 鍋から立ち上がるローズマリーの香りを嗅いだ瞬間、遠い記憶と今が、ほんの少しだけつながった。 「すごく美味しいね!」そんな会話を家族でしながら食べた。 料理は材料が少なくなるほど、ごまかしが利かなくなる。 何をなくしても、それでも残るものは何なのか。 人も案外、同じである。 そこで感じられるのは、単純な「在る」という感覚。 今は、そこまで戻っていく途中。 削れば削るほど、世界は濃くなっていく。 窓から入ってくる風。 虫の声。 一日の光。 庭のローズマリーに触れたとき、指先に残る香り。 何でもないものが、以前より鮮やかに感じられる日々。 「退屈を取り戻す」 そんなことを考えながら、庭のローズマリーを一本摘んだ。 指先に香りが残る。 遠いマルタの海を、また一瞬思い出した。 庭には心地よい秋の風が吹きはじめている

