スウェーデンの死生観 [コラム]



先日、とても興味深い事を知った。
今回のCOVID19の政策でも、最初から独自路線を貫いてきたスウェーデン。

「封鎖せず」独自路線 自主性尊重、「集団免疫」目指す―スウェーデン・新型コロナ

ロックダウンしない、自粛しない。こういった政策からも非常に注目していたのだが、僕はその根本的な理由を大きく勘違いしていたようだ。

それは経済的な理由が念頭にあると思っていたのだが、どうやらこの国の死生観が大きく関係しているのかもしれない。それは日本人とは全く逆のものであった。


スウェーデン人の平均寿命は81歳。日本人の83歳に比べれば短いが、殆ど変わらない長寿国である。
断っておくが、スウェーデンの人々が日々健康的な生活を送っているというわけではない。
例えば食生活。厳しい冬が長く、野菜もとれず、食材も貧しいため、北欧の食事は塩分濃度の高い保存食が多く、日本のほど豊かなものではない。

にもかかわらず、スウェーデンにはいわゆる「寝たきり老人」が何とゼロ人なのである。
(参考までに、日本には200万人も存在する)





基本的な前提としてスウェーデンの高齢者は、子供などの親族と暮らすことをしない。
夫婦二人か、一人暮らしの世帯がほとんどで、子供と暮らしている人は全体の4%に過ぎない(日本は44%)。これは「自立した強い個人」が尊ばれる伝統に根差したものである。
(後述するが、その代わりに介護制度が非常に手厚い)

この「個人の生き方を尊重する」価値観は医療の在り方にも強く影響している。


例えば、老人の認知症。日本だと深夜に徘徊したりする恐れがあるので、安全の為に施設に入れたり、酷いケースだと部屋に閉じ込める、ベッドに縛り付けるといった処置がなされます。

しかしスウェーデンではこういった行為は虐待と考えられているので、一切何も行わない。
徘徊する恐れがあるのなら、GPSを身体に付けておいき、自由に行動させる。それで例え帰ってこれなくなったり、交通事故にあったりしても、それはその人の人生だったと家族は受け入れるのである。


単身で生活している高齢者が誰かの世話なしに生活できない状況になったとしても、家族が介護することはありえない。
施設に入れるのではなく、地域の介護師が在宅でサービスを提供する。(15分程度のサービスが毎日)
日本と大きく異なるのが「この介護制度」で、この国の介護師は国家公務員であり給与も安定しており非常に地位が高い職業なのである。


そして、日本の寝たきり老人に多い「胃ろう」。
食事が食べられなくなれば、胃に穴を開けて直接栄養を摂取させる。もしくは、無数の点滴を繋ぎ、身体に栄養を強制的に摂取させる。本人の意思とは関係なくとも。


しかしスウェーデンではこの行為は「虐待」と認識されるので行わない。
食事が食べられなくなってきたら、介護師が在宅で「食べる訓練」を手厚く行う。それでも食べられなくなり、水も飲めなくなったとしても、特別な処置は施さない。あくまで生き物として自然な形で看取るのが一般的なのである。

ここで苦痛が伴うのではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれないが、実は生き物は自然に死が身近に近づくとエンドルフィンという麻薬物質が脳から放出され、苦痛に悩まされることなく最期を迎えることができると研究でわかっている。

逆に、無理な延命処置を施した方が本人にとって苦痛が伴うということも既にわかっている。

犬などのペットを飼ったことがある方なら理解していると思うが、生き物の最期は飼い主には迷惑をかけないようにひっそりと迎えることが常である。
これは自然界の野生動物も同じで、最期を迎える動物は仲間の群れに迷惑をかけることなく、影でひっそりと迎える。これが本来の生き物の自然な形なのである。






日本の場合は、医師が主導権を持っているケースが殆どであり、すぐに投薬・治療という方向になる。いかに延命させるか手段は問わない。
しかし、スウェーデンの場合は医師ではなく普段から寄り添っている介護士が治療方針にも大きな権限を与えられていて、認知症の場合でも薬を使うよりも、本人がどんな助けを必要としているか汲みとることが重視されている。


そこで、今回のCOVID19。死因の多くは老人の肺炎による合併症である。

スウェーデンでは、COVID19による医療崩壊が全く起こっていない。ロックダウンも、自粛もしていないのにである。(もちろん、最低限の対策はちゃんと行っているけれどもである)

感染者専用の隔離施設も一応は作ったのだが、今現在、何と最初から使われていらず、1人も入院していない。

肺炎といっても普段から細菌性の肺炎も高齢者の死因の症状ではよくあり、今回のCOVID19でも同じように、自宅で自然な死を迎えられるように家族と介護師が対応しているからである。

生き物は、あくまで自然に逝くという死生観。
ただ見守り、命の火が消えていく時間を共に過ごす。死を否定するのではなく、受け入れる。それができると、高齢者に対するケアのあり方も自分が担うべき役割も変わるのではないだろうか。


ただし、日本でも様々な考えを持つ人々がいるが、この考えは基本的にはタブーである。

仏教にも浄土宗や浄土真宗で死後極楽浄土へ行けるといった教えがありますが、スウェーデンの価値観も含めお医者様が死生観について学んでいないからというのも一因かもしれませんし、戦後の高度経済成長を支えた老人に何てことをするんだといったお考えの方々が一定数いらっしゃるのもあるからでしょう。


日本の医療は世界でも有数のハイレベルの医療です。
しかしながら、CTをしないと不安だ。安心できないと言い被ばくする日本人気質や、医療に安心を求めて、医療費を増大させている多くの高齢者たち。そしてそれを支える若者世代。

人間らしく生き、気持ちよく往生するという個人の価値観と、病気を治してくれる医療。

そこを埋めていく思想を、今回のスウェーデンのCOVID19の対応から知ることになったこの国の死生観から、またひとつ学んだ気がしました。


最後にあくまで僕個人の意見ですが、このスウェーデンの死生観には賛成です。


(画像は全てスウェーデンの世界遺産、「森の墓地」。死者は森へ帰るという北欧の独特の死生観を体感できる場所としても知られている)