人生に挑戦できる、成功できる人間になる為には [コラム]

誰もが皆、自分の人生をより良い方向に持っていきたいと思っている。

その為には「挑戦」しなければいけないこともわかっている。でも、その一歩が踏み出せない人は意外と多い。

人生を良い方向に持っていく為には、「行動する」これしかないと思っています。

頭ではわかっているけれど、不安や恐怖でリスクヘッジばかり考えてしまい、勇気を出して前に進むことのできない人は意外と多い。実は行動さえすれば、案外人生の殆どは思い通りにいく。成功できない人は行動していないだけである。



例えばあくまでこれはお洒落が大好きな僕の場合はなのですけど、年齢を重ねても挑戦や行動を起こせる人で在り続ける為に続けていることがあります。

365日毎日違う組み合わせの服を着る。

この春にブログをリニューアルしたタイミングでコンテンツの1つにする為に撮影も始めましたけど、これは今に始まったことではなく何年も前から自分自身への日々の課題として取り組んでいます。

デパートに行き、担当の方に素敵な服を一式提案してもらって購入する。家のクレーゼットの服なんかとも組み合わせてみて、どんなに気に入った最高のスタイリングが発見出来たとしても、一度でも着たら同じ組み合わせは永遠にしません。
これを続けると1年で365パターン、10年で3650パターンの組み合わせが完成します。
かといって、お気に入りの洋服を一度しか着ないという訳ではなくて、似たようなスタイリングでも例えばスカーフを首元に足してみる。足元を変えてみる。ベルトを変えてみる。それだけでも新しいスタイルになります。
例えばソックスのたるませ方による足の肌の見える範囲が1cm違うだけでも全く印象が変わるのがファッションなので、突き詰めれば終わりのない沼のようなもので組み合わせが尽きる事は有り得ません。


(僕の衣装部屋・兼寝室。毎朝、起きた瞬間から大量の服が視界に入るので瞬時に今日はどの組み合わせにしようかと脳がクリエイティブな気持ちに切り替わる。
写真には一部しか写っていませんが昇降可能な頭上のラックを含めて、25mプールと同じ長さのラックにギッシリ衣装が)



なぜ、こういった取り組みをすることが行動する人間になることに繋がるのか?

人は自分で自覚をしていなくとも、人生あらゆることが全て無意識のうちに同じような規則を持った行動をとるように動いています。例えば寝る時間・起きる時間なんかも同じはずです。

靴は右足から履く。通勤の途中、同じコンビニやスタバで同じ飲み物を買う。同じ時間に同じ道を車で走り通勤する。電車なら毎朝同じ位置の車両に乗り、同じ右から2番目の改札から出る。家に帰ったら服を脱ぎシャワーを浴びて、冷蔵庫を毎晩決まった側の手で開けて飲み物を出して飲む。
人は無意識のうちにロボットのような生活を続けているし、
老人なんかになると日常のルーティーンは全て同じ動きしかしていません。

こういったロボットのような生活ばかりしている人が「新しいことをしよう」「挑戦しよう」「転職しよう」「起業しよう」としても、なかなかリスクを取って動くことができないのは当たり前なのです。


人は歳を重ねれば重ねるほど変化を嫌うようになる。だから意図的に違うことをして毎日に変化を無理矢理でも起こしていかないと、どんどん新しいことができなくなってしまう恐れがある。

毎日パターン化した生活を続けてしまうのは、その生活が安心できるかだと思います。
しかしながらその生活を繰り返していたら、人生の大切なタイミングで挑戦が出来なくなるかもしれない。チャンスを逃してしまうかもしれない。


僕の場合の「服のスタイリングを毎日変える」。これを真似するのは一般の方はかなりハードルが高いのでお勧めはしないけれど、他にも方法はいくらでもあります。


例えばお昼ごはんを毎日変えてみる。毎朝買う飲み物を毎日変えてみる。

これだけでも自分の規則性を破壊し、新しいことをするための心理的ハードルを下げる大きなキッカケになる。

調べてみたところ、日本の年間に新発売される清涼飲料水は1100種類にも及ぶ。心配しなくても、購入が追いつかないくらいの新しい飲み物がコンビニでは手に入る。
お昼ご飯のお弁当やランチのメニュー選びも同様だ。
在宅で自炊をする方でも、クックパットを広げれば無限のMENUが手に入る。
だがしかし、これを実際にやろうとすると物凄い抵抗が起きると思う。
例えばコンビニやテイクアウトのお店で好きでもない商品を選ぶのが苦痛だと思うならば、「今日は上から何番目の棚の左から順に見て、まだ買っていない飲み物や食べ物を強制的に選ぶ」みたいなのをあらかじめ決めてから入店すれば良い。

そもそも、コンビニを含むここ日本のあらゆる飲食販売店で売られているといった時点で、破壊的に不味かったり身体を壊す食べ物だということは有り得ない。
「自分の好みとは違う少し不味いものを食べるかもしれない」
その程度の小さなリスクすら取れない人間が、例えば人生で成功をするために起業や転職をして自分の生活を失うかもしれないといったリスクを取ることのできる人間になれるはずがない。


こういった小さなリスクが取れるようになってきたら、同じ要領でどんどん変化を付けていけば、さらなる行動力が身につく人間になれると思う。

毎日の靴の履き方、起きる時間、通勤の道順の変化、よく読む雑誌や毎朝見るWEBサイトを変える、外食のレストランを毎回変えてみる。など、そうすると、日常で様々なリスクを取ることに慣れてくる。

例えば「美味しいか不味いかどうかわからない」というリスクを取り新しい飲食店に行くことで、出会ったことのない美味しい料理に出会えるかもしれない。素敵な接客に気持ちよくなるかもしれない。
朝の行動を変えて、毎朝30分早く家を出て普段は行かないスタバやカフェでゆっくり過ごす時間を作ってみる。新しい趣味や習い事を始めてみる。そうすることによって新しい友人が作れるかもしれないし、誰かと恋に落ちることだってあるかもしれない。
リスクを取ることによって、思いもよらない大きなリターンが手に入ることができる可能性だってあるのです。


この調子で、例えば今度の休日は車で遠出して行ったことのない、とある地方まで行ってみる。そこで、普段は入らない様なちょっとグレードの高い良いお店に勇気を出して入ってみる。そのお店の人に話しかけて様々な話を聞いてみる。
こうやってどんどん行動を広げていくことで新しい世界が広がると思うし、挑戦を恐れない心構え、様々な人生を豊かにする知見を手に入れることができるようになるかもしれない。


これは家庭内でも同様で、家庭料理は今やスマホ一つで無限に世界中のレシピが手に入るし、世界中の食材やスパイスがネットで簡単に購入できます。
参考までに我が家は結婚して何年も経つけれど、妻は一度作った同じ料理は滅多に作らない。新しい物を作る時は美味しくないかもしれないといったリスクを毎回取る。
だから勿論妻自身も作るのが始めてで、味の感想も何と答えて良いかわからないような、初めて食べるどこかの国の不思議な料理が食卓に並んだり日常茶飯事だったりする。
昨晩は飲み物の話題から発展して深夜にいきなりスパイスを煮出してクラフトコーラを作って試飲会をしたりした。

僕にも勿論食事の好みはあるし、本心はシンプルな出汁の効いた和食や男性が好きな定番の生姜焼きみたいなのが好きだったりするのだけど、それは決して言わないようにしている。
その結果、妻は自由に楽しみながら料理をチャレンジして作れるし、出てくる料理が時には残念ながら口に合わないと思う時もあれば、何これ?物凄く美味しい!と新しい発見が大きなリターンとして得られる事も沢山ある。この体験により、自分一人では絶対に出会えない未知の味を知れたり、食に関する新たな知見が手に入り、一人で好きな物しか食べていなかった頃と比べてもずっと刺激があり生活が豊かになったりするのである。


いわゆるリスクを取る、挑戦する、といった行動はせっかく今まで築き上げてきた自分のルーティーンを壊すことになるから、心理的に大きな抵抗を感じます。

しかし、日常のささいなリスクすら取れない、挑戦できない人間が、人生をかけた大きなリスクを取れるはずないし、挑戦できるはずがない。成功できるはずがないということです。