ストーリーテリング(散文)
(フィクションです)
このあいだ、久しぶりに1人で大門をブラブラした。
というのも休日なのに急に予定がなくなってしまい、1人で1日何もすることがなかったからである。
朝から暇なので家でワインを2本も空けてしまい、酩酊しながら、外に出た。
外に出ると、思いのほか暑くて今年初めての夏日だと感じ、僕は上着を脱ぎながらマスクを片耳にだけかけ、ブラブラさせながら目的地に向かってフラフラと歩き始めた。
途中、ある物を買いにコンビニに寄り道をしつつ、テクテクと歩く。
目的地は近所の「サンモリッツ」である。海外旅行が好きの方はご存知かもしれないが、スイスの高級リゾート地で有名なあの「サンモリッツ」と同名の喫茶店である。
コロナであいにく中止になってしまったが、この疫病さえなければ本当はこの春に友人たちと旅行に行く予定で飛行機とホテルまで押さえてあったのに、結局収束しなかったので中止になってしまった。
大門の商店街方面へは向かわず、観音様方面へ向けて左折。1960年代から津市で続くこの喫茶店は、旧・大門シネマの隣に今も存在している。
全席、喫煙可能。その歴史も相まって、店内はスモーキーな香りが漂っている。
ボルドー色の椅子、円形のカウンター、四角いテーブル。レンガのような壁があるかと思えば、なぜか木目模様の壁もある。
壁には誰が描いたかわからない、それもあまり上手いとは言い難い街の絵が飾ってある。
あらゆるセンスの素材と、その組まれ方は理解できない。しかし、ここが津市の今は寂れきった繁華街・大門を象徴する喫茶店であることは間違いない。
僕は普段からオシャレな暮らしをしていると思われがちだが、
お金がなかった若い頃なんかは、毎年のように東南アジアへ繰り出しては、安宿に泊まり、ほこりまみれの街を歩いて楽しんだりしていた経験がある。
20歳の頃にはロンドンに少しだけ住んでいた事もある。
その時もお金がなく、休日に電車でフランスのパリに遊びに行ったりもしたけれど何も買えないので、無料の美術館に行くか、ただ街を歩いて楽しんだりしていた。
まだヨーロッパに一度も行った事がなかった10代の頃、情報源が映画か雑誌しかなかった時代。
ロンドンもパリもオシャレなイメージしかなかった。
だけど実際はパリもロンドンもホコリ臭いし、街のいたるところに浮浪者がいる。
オシャレをバッチリ決めた、雑誌「STREET」で憧れのように見ていたファッショニスタみたいな人は、本当に1人たりとも出会わなかった。
観光地と言われている区画を少しでも外れれば、そこはゲトーであり、ゴミが散乱していて、あの汚い東南アジアと大して変わらないなと思った。
だからという訳ではないが、例えばこの大門のように、少々薄暗く小汚い繁華街なんかは全然嫌いじゃない。
むしろ人工的な閑静な住宅街。みたいな場所が苦手だ。絶対に住めない。生きている気がしないからだ。
この辺りは1960年代・又は70年代の面影を残す建築物が多い。現在の東丸の内に移る前の、旧・松菱百貨店。旧四日市銀行津支店、又の名をオーデンビル。そして大門シネマ。
それら全ての、古きよき昭和の遺産が建築だけは今でも残っている。
そういったことに関しては、木々から枯れ葉が落ちるように。動植物が、昆虫たちが生まれては死ぬように感じなければならない。
いちいち情緒的になっていては気が狂ってしまう。
情緒的になるのに躊躇がなくてよいのは、恐らく35歳までだ。
36歳になったら、やめておいた方がいい。
僕は懐かしい匂いをかぎながら席に着き、アイス・オレを注文する。
財布とスマホ以外何も持たずに出てきたので、煙草の吸い比べをしようと、さっきコンビニで5種類の煙草を買ってきた。
煙草は味覚が弱ってしまうので普段は吸わないが、匂いは嫌いではないので酔っ払うとたまに無性に吸いたくなる時がある。
メビウスの1mm、キャメルの1mm、アメリカンスピリットの5mm、マルボロの5mm。何ミリだかわからない、若葉。
店内を見渡すと、カウンターに常連らしきおじさんが1人。勝手に持参した大量の缶ビールをグビグビ飲みながら、ママさんに話しかけている。
カップルが1組。こちらは飲み屋の女の子と客で、同伴出勤するまでのワクワクする時間潰し。
そして20代と思しき、若い女性同士が1組。着ている服とメイク、身体のボディラインから、ダンサーだと一目でわかった。この辺りのスタジオで練習してきた帰りだろうか。
ダンサーの2人は僕の2つ隣のテーブルで、片方が発言すると片方が5秒後に反復するといった、見事なチームワークを誇っていた。
ウインストンの5ミリを吸いながら。
女1「ねぇあの先生さ、スロー再生しろって言った?」
女2「言った~。」
女1「スロー再生はいいんだけどさ。」
女2「いい。」
女1「そもそも先生自体がさ、振り付け、ちゃんと取れてなくない?」
女2「取れてなーい。」
女1「むっずいよね、韓流の、男チーム。」
女2「むず~い。」
そのうち、僕に背を向けていない会話のコール側を担当し、脇腹や、肩が、アシンメトリーに露出する、猫の方が、
一瞬、僕のテーブルに視線を走らせ、あわてて外してから、僕から背を向けているほう、変形のレオタードにデニムを履いているタチに向かって、
声を出さないように、唇だけで
「あれ、なんか入っている」と、言った。
彼女は唇が読まれていることなんて想像もしていなかったか、あるいは読まれるように大げさに唇を動かしたのか、僕にはわからなかった。
僕のテーブルの上に、スマホも雑誌もなく、5個の煙草が並べてあっただけだったからだ。
大柄なタチは、僕の方に振りかえって、「ええ、あれって!?」と、声をあげて喋ってしまった。
僕は、え?なんすか?と言った表情で、猫の目を見た。
猫はニッコリと笑い、「お兄さん、それ全部吸うんすか?」と、作り笑いで言った。
僕は何て答えようか一瞬迷ったけれど、「いや、全部吸いませんよ!てか、何にも入ってないです。」
Sっぽいタチは、怪訝な顔で僕をみつめながら、「すいませんこの子、頭イっちゃってるんで。」と、笑った。
「お二人さん、あの~・・・ダンサーさんでしょ?」と僕が言うと、
猫が、「え?ひょっとして経営者の方ですか?」と言った。
僕「えええ??っとね、いきなり何言い出すの?・・・・うんっとね、ええ、まあ。そうですけど。」
タチ「あのー、それ1本貰ってもいいすかぁ?」
僕「別にどうぞ。とにかく何本でもどうぞ。でも、何も入ってませんよ。てゆうか、どれにします?」
タチ「えぇ~・・・、どれが美味しいですかぁ?」
僕「わかんない。今買ってきたばかりだから。」
タチ「今買ってきたばかりなの?うそ?やばいっすね~・・・。」
僕「いやいや、やばくないから。笑」
タチ「どうする?マルボロにする?どうする?どうする?マルボロ貰うでいい?」
猫「えー、私は・・・・」
僕とダンサーと2人の会話は、まるで映画監督からカットが入ったように切断された。
会話が騒がしい常連と思われるお客が2人組みで入ってきたからだ。
店内のラジオからはTom Mischが小さな音量で流れている。
店が混んできたので、僕はトイレに立ち、お会計を済ませ、帰り際にマルボロを箱ごとダンサーたちに渡し、
「あのー、これ。よかったらどうぞ。全部あげる」と言った。
この行為に対しての猫の発言は、耳を疑うに充分だった。
「えぇ~!ありがとうございますぅ!!あのぉー、あのー、あのぉ・・・・愛って、どういうものなのですかね??」
僕「えぇ??いきなり何!?わっかんないよ!じゃあね。」
それから僕は、再び大門を歩いて、ごくたまに行く近くにある足つぼをやってくれる台湾マッサージの店に行った。
古いビルの2階にあるその店に入ると、店長らしき女性と従業員の女性、全てが以前と入れ替わっていることを知った。
しかし、店内とシステムは全く同じだった。
「足つぼ60分で」と言うと、熱海の秘宝館みたいな壁面にお湯を置き、唐辛子パウダーをいれ、足を暖めながら、肩をもまれる。
それから足が暖まったら、もみ手がひざまずき、マッサージがはじまる。
本当に驚いた。全く痛くない。弱すぎる位の指圧でソフトタッチになっている。
隣のサラリーマンの男性客も、静かにスマホをいじりながら心地よさそうに身を任せている。マスクをしながら。
それでも、台湾人の女の子は、物凄く小さな声で「大丈夫ですか?」と、聞いた。
僕は「ブゥードン・カァナ」と、言った。
痛くない、もう少し強く。という意味だが、以前はこれを言うとどんなに発音が悪くても大喜びされて、店の奥から美味しくも無い台湾菓子が出てきたこともあった。
だが台湾人の女の子は「はい。わかりました」と言い、ほんのかすかに力を強めた。
台湾語を話す日本人には日本語で対応しろという規則でも出来たのかもしれない。
僕はこの後何をしようかとかなり悩んだ末、流しのタクシーを拾い、「キャッスルインまで」と行き先を告げた。
1人で行くホテルは案外好きだ。
一人きりになりたい時、静かな環境でぐっすり眠って休息したい時。環境を変えて作業をしたい時。
コロナ以降テレワークが当たり前になり、どのホテルもデイユース利用が可能なのもありがたい。
キャッスルインは古いけれども、ウチの近所にあるホテルの中では一番好きで、最上階には見晴らしの良いスイートルームがあるし、貸切の大浴場が3つもある。
僕は部屋にチェックインしたら、スキーのハイジャンプの選手みたいに直下工にベッドに飛び込み、20分間、実に色々なことを考えていたが、何を考えていたかはみんな忘れてしまった。
腰と、左の肩に若干の痛みを感じている。思えば、最近もあまり休めていない。
突然閃いて、ホテトルの愛好家である会社経営者の友人にLINEをして、生まれて初めてホテトルを使いたいのだが、どうしたらいいのか?と送った。
直ぐに友人から電話がかかってきて、彼は優れた塾の講師のように、全てのシステムを、僕に過不足無く教えた。
「まっ!報告しろとは言わないけど、幸運を祈るよ~!」そう言って陽気な友人は電話を切った。
僕は、友人の言うとおり、完璧に手配を終え、30分後に備え、メビウスの1mmを吸いながらバスタブに湯を張って待った。
全く興奮していないこと。ワクワクすらしていないことが、ちょっとだけ恐ろしかった。
どんどん水位を上げていくバスタブを眺めながら、僕は会話のパターンを5パターン程、緻密に想定し、口に出して練習を始めた。
その、どのパターンでも重要なポイントは同じだ。
「ねえ、泳ぐの好き?」
と切り出すタイミングだけが、その夜の最重要事項になってしまったことに、少しだけ笑った。
そして第6のパターンは、その最重要事項を聞かずに先に進むことだ。
それは、6番目の後奏曲を書く作曲家の気分であった。
フロントから電話が入り、僕は女性を部屋へ通すように言った。
バスタブはもう満水で、僕は棚からサービスのミネラルウォーターを取り出して、煙草を消した。
ドアチャイムが鳴って、ドアが開く。その女性がさっきの猫だとわかると、僕らは舞台役者のように大きく目を見開いて、1分間以上、お互いを見詰め合った。
僕「まぁ・・・あの、、、奇妙な縁ですね、これは」
猫「あの~・・・さっきのマルボロ、お返しした方がいいですか?」
僕「いやいや、あれはアナタにあげたやつだから。まあまあ、とりあえず、入りませんか?」
猫「はいぃ~、おじゃましますぅ。」
僕「え、いつでもそう言うんですか?」
猫「違いますぅ。経営者の方かもしれないから」
僕「いやいやあの、、、それは、そうなんだけどさ。あの、ええと、あの・・・冷たい水、飲みます?」
猫「ありがとうございますぅ。」
彼女は、脇腹や肩が、アシンメトリーに露出する見事な金色のウェアと、ランニング用の素晴らしいレッグウェアを着て、エルメスの小さいバッグから、僕が買ったマルボロを取り出し、しかし吸わなかった。
僕「ああ~、それそれ。それ~・・・よかったら、吸いましょうよ。一緒に。あの~、何も入ってないけど」
猫「え、あ、じゃあ、失礼して、一服。」
僕らは同じマルボロを、各々で火を付けて、深く吸い込み、一気に吐いた。
僕は冷たい水を一気に飲み干したが、彼女が手をつけないので、
「あの・・・なんか、、、そんな人いるかわかんないですけど、お水が。お嫌いでしたら、なんでも飲んでください。アルコールがよければ、買いに行きますから。隣にセブン、あるし。」
と言ったが、彼女はモジモジしていた。
僕「ごめんなさい、あの~僕、ほんとにね、ほんとにこういうの初めてで。それであの~、しきたりとかね、システム上間違ってたり、失敗してたりしたら、遠慮なく言ってください。」
猫「いや、、、それより~・・・聞きたいこと、あるんですけど。」
僕「あ、聞きたいこと?何ですか?名前ですか?」
猫「違います。あの~・・・、愛って、どういうものなのですかね?」
僕「や、それ!笑 決め台詞なんですか?こういうリレーションの。あのね、僕、ほんっと何も知らなくて。」
猫「違います。なんていうか・・・聞いたら答えてくれそうだったんで」
僕「あ~・・・、じゃあ、そうしたら、そうだなぁ・・・あなたが今、飲みたいものを。
だって何にも飲んでない、喉カラカラでしょ?だからあなたが一番飲みたいなって思ってるものを、教えてくれたら、その答えを考えますよ。何か、飲みましょうよ。それに、ヒントがあるからしれないから」
猫「すっご~い・・・」
僕「いや、全然凄くない!(笑)面白いね、君」
猫「でもすご~い。あたし、飲み物、いっこしか飲まないんですよ」
僕は、「しまった」と、軽く舌打ちをした。彼女がさっき何を飲んでいたか、チェックしていなかった。しまった。
猫「あたし子供の頃から大体いつでも死にたいって思ってるんですけど、それ飲むと、落ち着くんですよ。」
僕「そ~~~りゃ、凄いね・・・・。それが、・・・・愛、かもね。」
猫「そうです、そう思った。一瞬で」
僕「それは何ですか?ここにある?」
猫「あります。」
僕「何?」
猫「コーラ。」
それでは最後の曲になります。コーラ。