梅雨の季節(散文)
梅雨の季節。
雨、雨。
みんなが嫌がる今みたいな天気が好きだ。
街が濡れていると生命力を感じるし、何より濡れた庭が美しい。
この濡れた庭を眺めながらこの文章を書いている。
まるで明治時代の文豪にでもなった気分である。
梅雨の季節。
雨、雨。
コロナが僕に与えたものは、概ね全て楽しいものであった。
時代が逆境になればなるほど、経営者としては熱くなるし何か新しいことをはじめたくなる。
しかし、もしも、首を絞められるような、誰にでも共感してもらえるであろう閉塞感が、ネガティブなものとして僕の中に蓄積されていたのだとしたら、コロナはこの一瞬を持ってそれを全て清算したと言えるだろう。
僕には空気が綺麗に見える。
梅雨の季節。
雨、雨。
僕は余りに懐かしすぎるのは好きではない。しかし、時折、どうしようもない。何かのキッカケで思い出してしまうことがある。
懐かしすぎるのは、一種の病気だ。
垂れ流していたポッドキャストから流れてきたYUMEGIWA LAST BOYを聞いて20歳の時まで吹き飛ばされてしまった。上京した年である。
コムデギャルソンと古着を着こなした僕は意気揚々と緑のマルボロを吸いながら251やQueなんかに通っていた。
メンソールとロックンロールが 君と僕の愛のしるし
ビートに酔いしれて 何も聞こえぬソウル人生
DJがわざと変な曲を次から次へとかけていた
この曲をCDウォークマンで最大音量で聴きながら当時暮らしていた下北沢を歩いた。ことを。思い出した。瞬間に。
いかんいかん。全部思い出してしまった。部分ではなく、全部をである。
一瞬にして、あの時の気分と、その気分を中心にした街の全てを。このまま一生、2度と会わないであろう人々のことを。
涙がボタボタと落ちてつま先が熱かった。
しかし幸いながら症状はすぐに通り過ぎた。夜のドライブをしようと思い買ったばかりのテスラに乗り込む。
こっちはいつだってウェルダンだからだ。
いつだって世の中はレアのままの人々が多く、政治家とSNSは報告と吊るし上げ、糾弾と謝罪を繰り返し、この窮屈で官能的な世界を一喜一憂しながら生きている方々は気の毒だ。
などと言うのは余計なお世話にも程があるだろう。
ウエルダンだのレアだの言っていたら突然思い出した。電話をしないと。
「はい!○○○○です!」
「お世話になります~山田です!」
「あ山田さん!」
「例のビステッカの件で、フィレンツェ牛の煮込みって、予約できますか?2キロひと塊のが良いんですけど。」
「シェフに聞いてみます!!」
「・・・大丈夫です!仕入れたらご連絡するそうです!ワインはこないだのアリアニコご用意しときましょうか?」
「いや、フィレンツェ牛入るんだったら、えーと、そちらのバローロを頂きたいです(笑)」
「ほんとですか!?お任せください!!ちょっと・・・当日まで色々と考えておきます!!」
「めちゃくちゃ楽しみです(笑)あの、値段はいくらでも良いので、やれるだけやっていただけますか?」
「やれるだけやります!シャフがビステッカ焼くなんて滅多にないので、私も楽しみです!!今は、ディナーはお客様が殆どいらっしゃいませんので」
「やっぱり8時までだと来ないですかー」
「いや、私たちとしましても。とても大変ですけど。このくらい、全然楽勝です!!また、お肉が入ったら連絡します!」
「いつもありがとうございます。あのう、その、頑張ってくださいね。」
「もちろん頑張りますっ!!笑」
僕のお店に対しての感想は酷く不謹慎な感想になってしまうだろうが、「羨ましいなぁ」というものだ。羨ましい。大変そうだけれど、そこも羨ましい。このお店は必ず生き残るしこれからも進化する。
突然だが、さっき、藤井風のカバー集がSpotiflyに公開されたので、テスラに装備されているBang & Olufsenのスピーカーで聴いてきた。今、日本のアーティストで一番好きな男だ。
四国弁&英語はヤバイ。スピーカーの質があまりに良すぎて目の前で歌われているような錯覚に陥ってビビった。
彼のアレンジは田島貴男にも聴こえるし、歌のキャラクターも、特に曲のコードボキャブラリーが凄すぎるし、その長い指を存分に使うピアノは天才的に上手い。
日本のポピュラーミュージックの減速主義を、彼だけが思いっきり加速している。
彼の幼少期から曲をアップし続けているYouTubeチャンネルも凄い。彼の人生、半生そのものだからだ。「藤井風カバー曲ベスト3」でもブログの記事でアップしようかと一瞬思ったがやめにした。
ああ、また思い出してしまいそうだ。外を走るこの車と同じスピードで、未来と過去から記憶が同時に押し寄せてきては相殺する。
藤井風に全部を思い出させられてしまいそうだ。
藤井風に全部を思い出させられてしまいそうだ。