Interior Collection ①(インテリア)(建築)
サロンや家のインテリアの事を良く聞かれたりするので、実際にコレクションしている作品を数回に渡って紹介していきたいと思います。
作品名、購入先もよく聞かれるので、まだ買える物に限ってですがこちらもリンクを貼っておきますので、ご興味のある方はご参考にしてみてください。
サロンのエントランスに鎮座する、光の彫刻のようなシャンデリアは、世界的建築家Zaha Hadidの晩年に発表された"ARIA"という照明です。
本来は照明には使うことのない先進素材クリスタルフレックスを用いた彼女らしい流曲線を奏でる照明は、その時間、光の当たり方、鑑賞する角度によっても違う表情を見せてくれます。特に夜間のそのエレガントな美しさは別格です。
少し彼女のことも書きたいと思います。
建築が好きな方にとっては周知の事実ですが、2016年3月、彼女はこの世を去りました。
建築家としては、これからまだまだ新しい我々の見たことのない建築を創り出していくことが期待される、65歳という年齢での早すぎる死でした。
日本の(建築好きに限らず)多くの方にとっては、今回の東京五輪のメイン会場となる新国立競技場における白紙撤回された問題で一躍有名になりましたが、ここで改めて彼女自身そして彼女の建築デザイン、建築界にもたらした功績について、少しだけ紹介していきたいと思います。
イラク、バグダッド出身のザハ・ハディドは、1972年にイギリスへ移り、ロンドンで建築を学びます。その後卒業すると、1979年には独立して自身の事務所を構えることとなります。
しかし、数々のコンペに勝ちながらも、その圧倒的な創造力による建設不可能な形態であったり、建設費が高騰してしまうことなどから、独立してから十数年間は何と実際に建築が建てられることはありませんでした。
そうしたことから、いつしか彼女は「アンビルト(建てられない)の女王」と呼ばれ揶揄されるようにもなりました。
そういった意味では、極めて日本的な結果で僕は残念でなりませんでしたが、新国立競技場の結果もある意味では彼女らしい結末だったのかもしれません。
彼女の建築が初めて実際に建設されたのは1993年の、独立してから14年後のことでした。
(コンペには勝ったが、実現されることのなかった新国立競技場案。晩年はこのような流動性のある作品が特徴だった)
しかしアンビルドの女王と呼ばれた彼女も、時代を追うごとに実現される作品の数も増えていきます。
その大きな要因となったのが、テクノロジーの発展により、コンピュータを使った三次元解析が可能になったり、施工技術や建築素材の性能が進歩したことが挙げられます。
Nordpark Railway Stations(2007年)
こちらのオーストリアにあるノルドパーク・ケーブル駅のデザインは、氷の形態からインスピレーションを受けたように、直線のない曲線だけで形作られた構造物が浮遊しているような未来的な印象を受けます。このような一昔前までは実現が不可能だったデザインも、ようやくテクノロジーが彼女に追いついたことはもちろんですが、この挑戦的なデザインを必ず実現させようという技術者たちの英知の結晶とも言えるでしょう。
また、Zahaの表現は建築作品に留まらず、僕も所有している照明などの家具類、さらには食器、アクセサリーや小物などの装飾品もデザインしています。
スケールが変わっても、その流動的で前衛的なデザインは変わらず、どの作品からも彼女のデザインに対する一貫性が見てとれます。
こちらは、彼女がデザインを手掛けたアイランド式キッチンです。
斬新ながら一目でZahaの作品だとわかる素晴らしくカッコいいデザインで、まるでSF映画に登場するかのような未来的なデザインとなっています。
家具のようなコンパクトなスケールでは、構造などに関して建築ほど大きな制約はないので、家具のデザインを見てみると彼女が本当にやりたかったものが見えてくるかもしれません。
Heydar Aliyev Center(2012年)
やがて、彼女の垂直水平を無視した斜めの壁や水のような流動的な形態は、結果的に建築の施工技術や素材の発展に大きく寄与することとなりました。
最終的には、柱のない巨大な建築の建設にも成功しています。
ただ、その傾斜した壁や曲線で構成させる空間は、使いやすさなどの機能性や建設費などの経済性の観点から、しばしば批判されることもあります。
しかしこれは当然であり、歴史を見てもいつの時代も建築も工業デザインも斬新なデザイン程、金銭面も含めて批判の対象になるものです。
彼女の作品はただ奇抜なだけだったのか、それとも振り返ってみた時に、価値のあるものだったのか。真の評価は数十年後になるでしょう。