120年前の世界



もう20年前に出版された本だから、120年。

120年前、ドイツ人の青年がフィルムで切り取った世界。

歴史の教科書では見ることが出来なかった世界。

120年前、こんなに現代とは差があり、そして今に繋がっている。





この本がキッカケで、じゃあ初めて欧米などの海外に行った日本人は誰だろう?
と思い調べてみました。
「ジョン万次郎では?」と思う方も多いと思いますが・・・よくよく調べると実は違い、面白い歴史の真実が見えてきました。

ジョン万次郎以前にアメリカの地を踏んだ人物。その名は音吉。
現在の愛知県美浜町に生まれた音吉は、水夫として知多、小野裏の千石船「宝順丸」で、三重県の鳥羽から江戸に向けて14人の乗組員と共に出航。しかし遠州灘でしけに会い、梶が折れ、何と14か月もの長い期間、太平洋上を漂流することになります。
たまたま食料が沢山積んであった船だったから助かっていたものの、その長期間の間に次々に乗組員は死亡していきます。

14ヶ月の漂流後、アメリカのワシントン州のマカ族のインディアン居住区、オリンピック半島のフラッタリー岬付近に漂着。1834年1月のことでした。漂着したのは三人(音吉、岩吉、久吉)のみが生存者でした。
その後、音吉は岩吉、久吉と共に、アメリカで奴隷のような生活を強いられながらなんとか生き延びていたところ、イギリスのハドソン湾会社に発見され引き取られることになります。
彼らを日本へ送り届けると約束を取り付けますが、ハドソン湾会社の船は太平洋経由ではなく南米回りで、まずはイギリスに向かいました。そして、3人はイギリスに1日だけ上陸を許されます。というわけで音吉をはじめとする3人の水夫こそが、アメリカに続いてイギリスにも歴史上初めて上陸した日本人だったらしいです。

その後、満を持して3人は日本への帰国をめざします。しかし、当時はまだ鎖国の最中。
日本に到着しそうになった音吉らが乗船していた船に対して、日本は容赦なく大砲で攻撃を仕掛け、彼らの帰国の夢は閉ざされてしまいます。

しかしその後の音吉の人生はまさに「国際派としてのパイオニア」とも言えるドラマチックなものでした。
彼はイギリスの船会社で働いた後、1843年に中国の上海 にあるイギリスの貿易会社で働き始めます。そして上海で生活していた1861年までに、日本との通商を希望していたイギリス政府の通訳として2度日本に上陸しています。この頃、帰国を勧められたようですが、上海でイギリス人女性と結婚していた音吉はその誘いを断ったと言われています。
1862年にはシンガポールに移住し、貿易会社の経営に乗り出します。しかし、1867年、病気のため50歳で亡くなってしまいます。
音吉はアメリカとイギリスに初めて上陸した日本人というだけでなく、上海に初めて住んだ日本人,シンガポールに初めて住んだ日本人でもあったのでした。


何と鳥羽を出港して江戸へ向かうつもりの船が漂流してアメリカに到着してしまうという、驚きのエピソード。その後の活躍がどれほど凄いことだったのか、我々日本人にとってどれ程の先駆者であったのか、軽く調べただけでも想像に難くありません。


で、興味が出てきたので次はこの本を読みたくて。
音吉について書かれた唯一の本ですかね。



ですけど、とにかく売ってないしあっても物凄くプレ値で高いんですよね・・。

タイミング探ってゲットしようと思っています。