お風呂のルーツ


ひょんなことからBAR FILMで「湯道部」 と言う部活動をすることになり、お風呂に行く機会が増えた。

「風呂」と言っても様々で、ラグジュアリーホテルのスパ施設、地方の温泉、街中のスーパー銭湯、地元民に愛されるローカル銭湯、家のお風呂まで様々であって、その全てが今では好きで分け隔てなく行き、湯に浸かっている。

海外の温浴スパ施設なんかだと水着着用がデフォルトであることからも、その地に暮らすローカルの人たちと裸の環境で共にするというのは日本独特の稀有な楽しみ方だ。

不思議と人間裸になると、本当の性格がよく分かる。

普段派手見た目なのに裸になると角の方で小さくなる人もいれば、逆に何も我関せず素っ裸で威風堂々と歩く人など、人間観察が面白かったりもする。


「湯道」を「茶道」と同じ位置まで持ってきたいと、家元の小山薫堂さんも、私たち湯道部メンバーも活動している。

茶道に「型」があるように、湯道にも各人の好きな「型」がある。私は型で言うと、寒い冬の朝型に入る露天風呂が一番好きだから、この時期は露天があるお風呂によく行く。温度は熱めの43℃が好みだ。外の気温は寒ければ寒い程良い。

そんな凍える寒さの中、露天風呂に浸かると幸せを感じる。


「銭湯検定」という面白い本があって、風呂文化と建築についての歴史考察が丁寧になされている。


古代より温泉に恵まれていた日本。今では3000を超える温泉どころがあるという世界でも類をみない温泉大国だそうだ。

遠い昔、人々は湧き出ている温泉に浸かる動物を真似たのだろう。だからこそ衣服がなくなって、頬を紅くして一点を見つめる姿は動物そのものの野生的な反応に近い。

銭湯の歴史も読みすすめるとやはりここでも仏教が関わっている。宗教というのは文化を伝来においては偉大な役目をする。

仏教伝来とともに広まったのは「温室経」という入浴に必要な7つの約束だった。その規律のひとつにあったのが「斎戒沐浴」。

神事に携わる者は水を浴びて心身を清めることが求められている。銭湯文化が本格的に反映するのは江戸時代だ。

当時は皆で湯に浸かるのではなく、今のサウナのような蒸し風呂がスタートだったようだ。伊勢の窯風呂がそのルーツに当たるそうで、これは江戸時代から続く私たちのDNAでそうなっているのだと感じた。


今のスタイルの銭湯に近づいていくのは大正時代だったらしい。木製の建物からタイル張りが生まれ、今のカランが登場する。

今ではお風呂は各家庭に普及し、「銭湯に行く」というのが公衆衛生からレジャーのひとつとなった。

人混みが苦手な人でも、銭湯で他人と一緒の空間と時間を過ごすことは苦にならないと言う人は多いそうだ。

今でも全国に入浴施設が存在する。数百円から味わえる最高の贅沢で、仏教の教え通り心身ともに健やかな気分になることが出来る。

山紫水明のこの美しい日本に住んでいる喜びを、これからもお風呂とサウナと共に謳歌していきたい。